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初めての事業計画書
16歳のとき、私は生まれて初めて事業計画書を書きました。といっても、事業計画書と呼べるにはほど遠く、当時、自宅でつながったばかりのインターネットで探したフォーマットに無理やり入力しただけのものです。
事業計画書の内容は、当時やっていたアクセサリー作りを拡大させていくというもの。店舗に置いてもらっていた分と知り合いからの注文を合わせると月に5万円程度の売り上げがあったので、店舗を増やせば売り上げは増えるだろうという安易なものでした。
初めて書いた事業計画書を見せた相手は銀行員だった父です。
「お父さん、私、社長になるわ」
そう言って、事業計画書を父の前に差し出しました。娘をアルバイトにも出さない厳格な父なので、絶対に反対される…と思いドキドキしていたものの、父は「へぇ」と小さく言って、その書面に目を通しました。
そして「このビジネスプランは、君の時給が800円なのが1500円になるかもしれないけれど、時給は超えないプランだね」と一言。要は、このビジネスではたいして儲からないということでした。そのあと「コストは?」「ターゲットとなる顧客は誰?」「他社と比較して君の強みは?」など、父からの質問ラッシュ。私の返答はしどろもどろで、父の満足のいく受け答えができていないのは明白でした。
父に見せた初めての事業計画書は散々な結果に終わってしまったものの、私の頭の中には一つのキーワードがめぐっていました。
「時給を超えるビジネス」
これを考えてビジネスプランをたてればいいことがわかった私は、なぜかワクワクしたのを今でも覚えています。それ以来、日々、ビジネスのアイデアを書き溜め、いろいろな会社のビジネスの形を研究するようになりました。
また、ビジネスプランはアクセサリー作りにこだわらず、人材育成からIT関連のことまで、さまざまな分野で模索し、「こうなればおもしろいにちがいない」と思ったことを事業計画書にまとめました。それを毎回父にプレゼンするのですが、さまざまなことを指摘され、結局いつも不採用。ただ、この事業計画書のおかげで、寡黙な父と、いつのまにか、ああでもない、こうでもないと議論できるようになりました。
このようなことが独立するアイデアと出会うまで9年間続きました。そして、ピアスキャッチの事業計画書を見せたとき、父は初めて興味を示してくれたのでした。
「妄想」起業家、誕生
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「社長になる」という決意
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